丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた内乱である。丁未の変、物部守屋の変ともいう。仏教の礼拝を巡って大臣・蘇我馬子と対立した大連・物部守屋が乱を起こして、滅ぼされた。
587年7月、蘇我馬子は遂に群臣と謀り、物部守屋追討軍の派遣を決定した。馬子は厩戸皇子、泊瀬部皇子、竹田皇子などの皇族や諸豪族の軍兵を率いて河内国渋川郡の守屋の館へ進軍した。
守屋は一族を集めて稲城を築き守りを固めた。その軍は強盛で、守屋は朴の木の枝間によじ登り雨のように矢を射かけた。皇子らの軍兵は恐怖し、退却を余儀なくされた。これを見た廐戸皇子は仏法の加護を得ようと白膠の木を切り、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努めると誓った。馬子は軍を立て直して進軍させた。
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迹見赤檮が大木に登っている守屋を射落として殺した。寄せ手は攻めかかり、守屋の一族らを殺し、守屋の軍は敗北して離散した。
守屋の一族は葦原に逃げ込んで、ある者は名を代え、ある者は行方知れずとなった。
廐戸皇子は摂津国に四天王寺を建立した。物部氏の領地と奴隷は両分され、半分は馬子のものになった。馬子の妻が守屋の妹であるので物部氏の相続権があると主張したためである。また、半分は四天王寺へ寄進された。